YouTubeの時代

ビジネス

『YouTubeの時代』ケヴィン・アロッカ

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内容

彼らは最初、人々が自分のプロフィール動画を撮影するだろうと考え、出会い系サイトとしてYouTubeを立ち上げた。

 

動画へのアクセスが多ければ多いほど、その複製の数も多くなり、さまざまな場所にあるサーバに保管される。

人気の動画となると、世界中に数千のインスタンスが存在する可能性がある。

 

人々がある動画を見た時間の合計を「視聴時間」と呼び、視聴回数より重要な指標となっている。

 

YouTubeの発見アルゴリズムは、ユーザーから毎日得られる800億件以上のシグナル(動画の再生、クリックなどさまざまな行動)に基づいて、自動的にアップデートされている。

機械学習はコンピューターが過去のパターンや統計に基づいて結論を導くことを可能にする。

 

コンテンツ配信の民主化

「江南スタイル」は、視聴回数が10億回を超えた初めての動画となった。

2014年には、公開されてから2年が経過していたにもかかわらず、「江南スタイル」は視聴回数ランキングで25位にとどまっていた。

初の「YouTubeミュージックアワード」では、米国の音楽メディアにとってはショックなことに、この賞に選ばれた(しかも圧倒的な大差で)のは、Kポップグループの少女時代だった。

 

無料で使えるグローバルな動画プラットフォームにアクセスできるということは、物理的な位置によって、アイデアや経験を拡散するのが制限されることはないという意味だ。

いまそれを制限するのは、視聴者の文化的な壁だけである。

何が人気を博すかは、視聴者がどこにいるかではなく、彼らの間で何が共有されているか次第なのだ。

 

「コンテンツを配信する力の民主化」は、YouTubeが起こしたイノベーションのなかで、最も重要なものといえるだろう。

 

動画クリエイター

コンテンツ制作のサイクルを十分に速くでき、さらに十分な量のコンテンツが制作できるのであれば、事後フィードバックは完全に有効です。

 

あまり多くのことを考えると、いまいる場所にとらわれてしまう。

ある人にどのくらいやる気があるかは、その人物が見せる生産性で証明される。

 

動画フォーマット

ウェブ動画は、1980年代にMTVが始めたことを、その自然な帰結へと導こうとしている。

それはすなわち「視覚と聴覚の融合」だ。

 

YouTubeの動画にある良さは、動画という作品、それをつくった人々、それを見る他の人々と、私たちがつながることを妨げてしまう「作りもの感」が取り除かれている点にある。

 

YouTube上でよく使われているフォーマットの多くは、一般の人々が何かにリアクションするという内容になっている。

最初に注目を集めたのは、その日に注目を集めたバイラル動画にコメントするというものだった。

 

「誰もひとりにはなりたくないのです。誰かがゲームしていたり、ビデオを見ていたりするのを見ると……自分に関係のある誰かとつながっているという感覚が得られて、彼らと一緒にいるような気分になれるのです」。

 

「他人の体験を通じて、満足感を得ているのだといえるでしょう」。

またこうした放送を見ることで、多くの文化にある「集団での食事」という伝統を再構築し、寂しさを紛らわせているのだという人もいる。

 

動画コンセプト自体に、その拡散を後押しするような議論の種が埋め込まれていたのである。

 

疑問文のタイトルはクリックされやすいということよりも、人々は自分に関する動画に興味を持ちやすいということだろう。

いちど疑問を突き付けられてしまったら、その答えを知らずに生きることはできないのです。

 

カタルシス→シェア

最も重要な統計データは何だろうか?

それは「シェア」だ。

 

本を読んでいて、自分しか考えていないと思っていたことが書かれている一文を見つけると、まさにその通りだという思いからカタルシスを感じます。

 

大ヒットを掘り当てた。

それは精巧なミュージカル作品のように手の込んだ内容でもなければ、スタジオのライトやカメラ、観客を伴うものでもなかった。

多くのユーチューバーがするように、小型で安価なカメラを使って、誰もが共感できる、日々の何気ない娯楽を撮影するという内容だったのである。

 

それは個々に行動しつつ、ある意味では共同で作業する、まったく異なる複数の個人によって創造されるポップカルチャーだ。

 

リミックス

YouTubeを検索して、カット&ペーストをする。それしかしていなかったのです。

最初の日、あるベースプレイヤーと、別のドラムプレイヤーの動画を切り貼りして、一緒に演奏させました

もうあのときと同じ興奮を味わうことはないでしょうね。

 

「スーパーカット」と名付けた。

彼はブログに記事を投稿し、そのなかでこの現象を、「強迫観念にかられた熱狂的なファンが、彼らの愛する番組/映画/ゲームの一エピソード(もしくはシリーズ全体)から、特定のフレーズ/行為/言い回しをすべて抽出し、それを一本の巨大なつぎはぎビデオに仕立て上げている」

 

最も反響を呼ぶリミックスとは、人々を楽しませるだけでなく議論を生み出すものなのだ。

 

宗教動画

2016年、YouTubeで宗教系の動画を視聴するのに費やされた合計時間は、バスケットボール、野球、アイスホッケー関連動画をすべて合わせた視聴時間の3倍以上だった。

 

ニッチコンテンツ

YouTubeのニッチコンテンツは、ニッチな観客と、彼らがそのトピックに精通していることを前提に最適化されている。

結果としてその内容は、コミュニティの外にいる人々には受け入れにくく、困惑するようなものになることが多い。

 

ASMR

多くは、眠るためや、ストレスに対処するためにこれを活用している。

 

スローテレビ

なんの変哲もない出来事や行動の様子を、長時間にわたって放送する番組

 

開封動画

何か新しいものを手に入れるというスリルは興奮するものであり、小さな子供たちが参加する誕生パーティーを見たことがある人ならば、彼らはプレゼントをもらうのが自分たちではないとわかっていても、友人がそれを開けるところを見て本当に楽しそうにすることを知っているはずだ。

 

妙に満足感が得られる動画

あまりに多くの物があふれているので、あらゆる種類の物事があらゆる方向から飛んでくる世界では、必ずしも一緒にされる必要のない物事を整理できたり、ピタリとフィットさせることができたりすると、ある種の心地よさを感じるのではないかと思います。

私たちは生まれつき、物事に秩序をもたらしたいという欲求を持っているようだ。

 

鏡のルール

私たちの行動はしばしば、『鏡のルール』にしたがって行われるのです。

それは何らかの行動が行われるのを見ると、私たちは自分でもその行動を取ってしまう傾向があるというものです。

 

失敗動画

私たちの多くが、少なくとも無意識のうちに、他人が失敗する様子を見て喜びや満足感を覚えてしまうものである。

そうした一般的な経験を、ニュースキャスターが持つ社会的地位と権威が増幅させるのだ。

社会的比較理論における下方比較の概念によれば、人生において何かしらマイナスの体験をした人々は、自分自身をより不幸な人々と比較することで、自分の幸福感を向上させることができる。

 

悲劇の目撃者は、自分が恵まれていることを神に感謝する。

フィクション作品による気分の落ち込みは、実生活における気分の高ぶりにつながる。

 

私たちが他人の苦境を見て感じる悲しみは、「自分の人生について熟考することを促してくれるために、価値があり楽しいと感じられるもの」になる可能性があり、さらにそれが「個人的な生活における幸福感を向上させる効果がある」ことが証明された。

基本的に、私たちはみなひどい奴らなのだ。

 

ジャスティスポルノ

いじめっ子が天罰を受ける場所。

犯罪者やいじめの加担者、自己中心的な人物、意地悪な人物が「当然の報い」を受ける動画。

誰もが時には小さな復習を考えるのです。

 

ジャスティスポルノの楽しさの一部は、自分自身が侮辱されたと感じた直後から、何日経った後でも抱いている復讐の妄想を、誰かの行為を代理として見ることで満たすことができるという人間の能力から生まれると私は考えている。

 

バイラル動画

ウェブ動画は受動的というより能動的なメディアであるため、視聴者の積極的な参加に最適化されたコンテンツが最も成功しやすい。

 

アイス・バケツ・チャレンジが成功したのは、参加のハードルを下げ、誰でもそれをできるようにしたところにある。

感情を刺激するというのは、人々の参加を促進するうえで非常に効果的なのだ。

アイス・バケツ・チャレンジが成功したのは、それが本質的に持つ善意のためであり、「デブな人々へ」のような動画が成功したのは、それらが本質的に持つ悪意のためだ。

 

動画そのものよりも、その動画について私たちがどう思うかのほうが重要。

 

VLog

第1のチャンネルにおいて、トリッピーのようにリアルな日常生活にフォーカスしたコンテンツを配信しているのではないクリエイターたちが、個人ビデオブログや「舞台裏」系コンテンツを配信する第2のチャンネルを設置し、ファンたちのリクエストに360度対応しようとしている。

 

こうしたリアル感のある経験を生み出すのに必要なスキルを過小評価していると考えている。

それには何が必要なのか?

まず必要なのは、私たちの多くが極端だと感じるほどの、一貫したコミュニケーションに対するコミットメントである。

十代のファンたちは特に、ユーチューバーたちからの定期的な「承認」を期待している。

毎日とは言わないまでも、毎週動画を投稿して、コメントに反応し、しばしば個人的な情報をシェアしなければ、リアル感は維持できないのだ。

 

彼は視聴者と直接的で感情的な会話を持てば、視聴者を急速に増やし、しかも彼らに何度も来てもらえるようになることを学んだ。

感情に働きかけることが、一般的に言って、最も強力です。

たとえば悲しみといったことについて、率直に語るのです。

バーチャルな感情的体験は、さまざまな理由から、信じられないほど強力なものであることがわかりました。

 

広告

この動画が広告のように見えない(携帯型のビデオカメラで撮影したような映像で、通常の広告よりも長く、テレビで放送されることはなかった)ことで、それはより本物らしく感じられるものになった。

広告は企業がつくったというより、実在の人間がつくったように感じられるものになりつつあるということだ。

構造の面においても、広告は一般の人々が制作した動画に近づきつつある。

 

本物のコミュニケーションに大きな価値を見出す世界では、俳優や撮影テクニックはお呼びではない。

ディクソン自身が、視聴者と同様に実験を楽しむ本物の人間であったという点が、何も飾らずに馬鹿なことをするこの番組を、より魅力的なものにしたのである。

 

これまで企業は、主に広告を通じて人々とコミュニケーションしてきた。

しかしいまや、企業も私たちが他人とコミュニケーションする際に使うのと同じフォーラムやプラットフォーム、チャネルを使うようになっている。

 

共感

「それはニュース番組などには不可能な形で、事件を個人的なものへと変えるから、ではないだろうか」と彼は答えた。

何らかの出来事を、その場に居合わせた人物(特にプロのジャーナリストなどとは対照的に、その出来事を自分のものとして経験する人物)の視点から見る場合、対象となる出来事と、その場にいる人々の経験の両方との間につながりが生まれる。

「そこで起きたことの一部になったかのように感じるわけだ」とグローブは付け加えた。

 

教育

実は私たちが「教育」カテゴリーの動画を視聴するのに費やす時間は、「ペットと動物」カテゴリーに費やす時間の10倍に達している。

 

面白かったポイント

YouTubeは間違いなく今後も主流になるメディアです。

そして、YouTubeのコンテンツは見きれないくらいどんどん制作されています。

 

この本では、コンテンツをカテゴライズし、そのコンテンツを視聴するユーザーの心理を整理した本です。

これからYouTubeコンテンツを制作する人も企業で広告媒体としてYouTubeを活用する人も役に立つ内容です。

YouTubeをやるなら一度は目を通しておいた方がいいでしょう。

 

満足感を五段階評価

☆☆☆☆☆

 

目次

プリロール

1 動物園で ― YouTube 最初の動画

2 歌う大統領―オートチューン時代のエンターテイメント

3 リミックス―新たな言葉

4 みんながアーティスト―世界中が「踊ってみた」

5 新しい広告―リアルに、なにより誠実に

6 新しい報道―世界が視ている

7 YouTube でお勉強―ネクタイを結ぶとき、コブラをつかむとき

8 ニッチこそが主流―マイクラ、モクバン、エレベーター

9 隠された欲求をみたす―耳かき・ささやき(ASMR)・開封動画

10 バイラル動画をつくるには

11 動画は私たちに何をもたらすか

12 ユーチューバーだけじゃない― 視る人が社会をつくる

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