内容
エリートと呼べるスポーツ選手は、低いレベルに留まる選手と比べて、非常に専門的で「意識的な」練習に、毎週多くの時間を費やしている。
フェデラーのようにさまざまなスポーツを試してみてから専門分野を決めることは、たとえエリート選手を目指していたとしても、それほどばかげていないということだ。
初期にいろいろ試してみることと、多様性が重要だということは明らかだ。
早めに専門を絞り込んだ人は、ゆっくり専門を決めた人より大学卒業後しばらくは収入が高いが、ゆっくり専門を決めた人は、より自分のスキルや性質に合った仕事を見つけられるので、じきに遅れを取り戻すことを示していた。
また、多くの研究が示唆しているのは、テクノロジーの開発において、さまざまな分野で経験を積んだ人のほうが、一つの分野を深めた人よりも、クリエイティブで影響力の大きい発明ができることだった。
行きすぎた専門特化は、各部門が最も合理的な行動を取っていたとしても、全体としては悲劇につながる恐れがある。
私たち全員が直面する課題は、専門特化がますます推奨され、要求されることさえある世界で、どうやって幅の広さや、多様な経験や、分野横断的な思考を維持していくかということだ。
世界の複雑さは増しており、世界がテクノロジーで相互につながって、さらに大きくなり、個人はごく小さな部分しか見えない状況になっている。
ここには言葉にされていない非常に重要な前提がある。
それは、「あなたにとって大切な活動がすべてチェスやゴルフのようなもの」であることだ。
さまざまな現実世界の場面で、経験が能力の向上には結びつかないことが示されたからだ。
経験が専門的な能力につながるかどうかは、それがどんな領域かによる。
ゴルフやチェスでは、ボールや駒が定められた範囲の中でルールに従って動かされ、その結果はすぐに明らかになり、同じような問題が繰り返し起こる。
これこそがまさに「意識的な練習」の定義であり、「1万時間の法則」や、早期に専門に特化して技術的なトレーニングができるようなタイプである。
学習者がシンプルにその活動に取り組んで努力すればうまくなれるので、学習環境は「親切」と言える。
小さな戦いを組み合わせてゲームに勝つことは「戦略」と呼ばれる。
「AIシステムはサバンに似ている」とたとえる。
つまり、安定した構造と狭い世界が必要ということだ。
チェスやゴルフやクラシック音楽のように、ルールと答えが分かっている時には、またそれが時間とともに変化しないなら、サバンのような究極的に専門特化した練習が有効だと言えるだろう。
しかし、人間が学びたい多くのことは、その方法では対応できない。
シングルループ学習とは、最初に頭に浮かんだおなじみの解決方法を活用するものだ。
その解決方法がうまくいかないと、コンサルタントは防御的になる。
ルールがわずかでも変更されると、エキスパートは柔軟性を失ってしまうようだ。
それを避ける方法として、一つの領域内で取り組む課題を大幅に多様なものにすること。
そして、デーンの共同研究者の言葉を借りると「片足を別の世界に置いておくこと」
科学者と一般の人たちでは、芸術的な趣味を持っている度合いはそう変わらないと思われるが、最高レベルのアカデミックな科学者は、本職以外に本格的な趣味や副業を持っている可能性がはるかに高い。
大きな成功を勝ち得たエキスパートも、やはり広い世界で生きている。
趣味や副業を持っている人たちは遠くから見ていると、エネルギーをまき散らし、浪費しているかのように見える。
しかし、実際には、エネルギーを集中させ、強化している。
この幅の広さが、専門領域の知識からは得られない洞察を生み出す。
成功した人たちは、ある分野で得た知識を別の分野に応用するのがうまく、また、「認知的定着」を避けるのも上手だった。
彼らはホガースが言うところの「遮断装置」を用いていた。
つまり、外部の経験や例を活用して、もはや効果がないかもしれない従来の解決方法に依存する傾向を遮断していた。
彼らは、昔ながらのパターンを「避ける」スキルを持っていた。
問題が曖昧で、明確なルールがない「意地悪な」世界では、「幅(レンジ)」が人生を生産的、かつ効率的にするための術となる。
誰もがさまざまな領域を行き来する、思考習慣が必要だということだ。
チェスのマスターや消防士と同じく、近代化以前の村人たちは、明日も昨日と変わらないことを前提に暮らしていた。
「経験なしで学ぶ」こと、言い換えると、新しいアイデア同士を結びつけ、領域を超えて考えることができる概念的な論理脳力が、急速に変化する「意地悪な世界」で求められている。
幅広く練習する
正味の練習量や練習時間が、優秀さを示す適切なバロメーターにならないことは、非常にはっきりとしている。
異なる楽器の練習をすることは重要なようだ。
学校が「最優秀」と認めた子どもたちは、三つの楽器に比較的均一に取り組んでいた。
「訓練の幅の広さは、応用の幅の広さにつながる」。
言い換えると、多くの文脈で学べば学ぶほど、学習者は抽象的なモデルをより多く構築するということだ。
学習者は、これまでに見たことがない状況に知識を応用するのがうまくなる。
これこそが、クリエイティビティーの根幹だ。
クリエイティビティは育てるのは難しいかもしれないが、阻むのは簡単だという。
クリエイティブな子どもの両親は、自分がしてほしくないことを子どもがやった時に、自分の意見を伝える。
あらかじめ、禁止しておくことはなく、制約も少ない。
僕もその誰かと同じように何年もかけていろんなことを見つけてきたんだ。
何が正しくて、何が間違っているのかはわからないし、答えは頭の中にはない。
やるべきなのは、問題の解決の仕方を見つけようとすることだ。
そして、50年たってようやく、すべてがつながり始める。
すごく時間がかかるんだよ。
でも、そうやって学ぶことに意味があると思う。
ゆっくり学ぶ
自分一人で答えを出そうと奮闘することは、たとえ出した答えが間違っていても、その後の学びは強化される。
学習者がこれを実行するには、将来のメリットのために、現在のパフォーマンスを意図的に犠牲にしなければならない。
フラストレーションは学んでいない証拠ではない。
むしろ、簡単にできてしまうことのほうが、学んでいない証拠だ。
「間隔を空ける」
「テストをする」
「関係を認識する問題を用いる」
いずれも、短期的な成果が犠牲になる方法だ。
問題解決
多様な基本領域は、アナロジー思考や概念的な関連性の見つけ方を育み、学生はそれらを使って直面している問題を分類する力を養える。
これこそが、最も優秀な問題解決者に見られる能力だ。
優れた問題解決者は、問題の根底にある構造を見抜く能力に優れており、そのあとで、それに適した戦略を適用する。
予期せぬ問題を前に、どれだけの幅(レンジ)のアナロジーを使えるかによって、どれだけ新しいことを学べるかが決まった。
研究室の全員が活用できる知識が同じである場合、みな同じような考えを持っているので、問題が生じてもアナロジーを生み出すための情報は一人分しかない。
あらゆることの中で最も重要な知識や見聞は、ゆっくりと身に付ける必要があるからだ。
その重要な知識とは、「そもそもあなたは何に取り組むべきなのか」「何があなたに合っているのか」だ。
専門特化を遅らせる
炭鉱の町のゴッホのように、あるいは株価暴落後のゴーギャンのように、ローリングも失敗によって「自由になり」、自分の才能や関心に合うことをしようと踏み出した。
3人とも、スタートが遅かったにもかかわらず、突出した業績を上げた。
例外的に遅咲きで成功した人の話を選び出したと思われるかもしれないが、スタートが遅いのは例外ではなく、スタートが遅かったからと言って、それが不利に働いたわけでもない。
むしろ、スタートが遅かったことが、3人のその後の成功には不可欠だった。
教育の役割は、学生が教育を受けながら自分が何者でどんな仕事に合っているのかを探す間、専門特化を遅らせる役割だ。
学生が早く専攻を決めれば、専門的なスキルをより多く身につけられる。
反対に、いろいろな学問を試したあとでゆっくり専攻を決めれば、就職する際に、専門分野の知識は少ないが自分の能力や性質に合った仕事かどうかを、よりはっきり感じられる。
果たして、どちらのほうがいいのだろうか。
高校の早い段階での限られた知識だけをもとに、将来の道を決めなければならない。
これはたとえるならば、16歳の段階で、恋人と結婚するかどうかを決めさせられるようなものだ。
その時には、すごく素敵なことだと思うかもしれないが、経験を積むにつれて、それほど素敵なことではなかったと思えてくる。
イングランドとウェールズでは、投資してきたキャリアと「別れる」確率がより高くなる。
なぜなら、早く「身を固めすぎる」からだ。
キャリアを異性とのつきあいのようなものだと考えたら、そんなに早く身を固めたいとは誰も思わないだろう。
社会人が仕事の内容をがらりと変えるのは、その人が早く専門特化したかどうかにかかわらず、よいことだ。
スキルの相当部分を失うので痛手でもある。
だが、仕事の内容が変わった後は、成長するスピードが速くなる。
それまでの経験をもとに、より自分に合った仕事を見つけるからだ。
重要なスキルとして、「断念すること」を挙げる。
プロジェクトでも、研究分野全体でも、ほかにより適したものがあれば断念する。
若者は年長の社会人よりも経験が少ないので、最初に試すべきなのは、リスクもリターンも大きく、多くのフィードバック情報が得られる仕事だ。
プロのスポーツ選手や俳優を目指したり、ベンチャー企業を立ち上げたりするのは、成功の可能性は低いが、うまくいけば見返りは大きい。
また、常にフィードバックが得られ、容赦なく選別される環境なので、挑戦してみて自分に合っているかどうかが早く学べる。
少なくとも、フィードバックが少ない環境よりは学びが早い。
もし合っていないと判断したら、別のものを試し、他の選択肢や自分自身についての情報を集めていく。
自分を伸ばそうという強い意欲によって士官の目標が大きく変化したことだ。
いろいろ試す
創業期のナイキの行動目標は、早く失敗して、学んだことを次の事業に生かすことだと述べた。
ナイトは短期間に次々と向きを変え、その学びを生かして前に進んでいった。
最初は安全で確実に感じられたキャリアであっても、自分のことをよく知った後では、ダーウィンの言葉を借りると「滑稽なもの」に見える可能性がある。
仕事や生き方の好みは、ずっと同じではない。
なぜなら、人間は変化するからだ。
私たちの望みやモチベーションは、時とともにかなり変わっているが、将来はそれほど変化しないと思い込んでいる。
人は大人になると、人当たりがよくなり、より良心的になって、感情が安定し、神経質ではなくなるが、新しい経験には慎重になる。
中年になると、より堅実で慎重になって、好奇心が弱まり、新しいものを受け入れにくくなり、創造力がしぼむ。
こうした変化による影響はよく知られている。
たとえば、大人は年を取るにつれて暴力的な犯罪を起こしにくくなり、安定的な人間関係を築く能力が高まる。
早期に専門特化することは、まだ存在しない人間のマッチ・クオリティーを予測することだと言える。
うまくいく可能性もあるが、当たる確率は低い。
加えて、性格の変化は次第にゆっくりになるものの、何歳になっても止まることはない。
時には、瞬間的に変化することもある。
自分がどんな人間であるかは、実際に生きることによってのみ知り得る。
前もって知ることはできない。
仕事を変えた人たちは、以前より幸せになったと感じた。
私が提案したいのは、将来に関して何も具体的に決めないことです。
そして、現在の選択肢だけを見て、その中から、今後、有望な選択肢につながりそうなものを選んでみてください。
何かが起きた時点では、それがよいことなのか、悪いことなのかはわからない。
本当にわからないよ。
わかるまでには、しばらく待つ必要がある。
やってみるまでは、自分に何ができるかなんてわかりっこない。
自分の才能を見つけるには、とにかくやってみることだ。
アウトサイダーの強み
大企業はいわゆる「ローカルサーチ」によって問題に取り組むとビンガムは言う。
ローカルサーチとは、一つの領域の専門家だけを活用して、以前に成功したやり方を試そうとすることだ。
心理学では「アインシュテルング効果」と呼ばれる。
問題を解決しようとする時、人は自分がよく知っている方法に引きずられて、別のもっと優れた方法を無視してしまう。
組織の専門化が進み、オンラインでさまざまな情報に簡単にアクセスできるようになったため、新しい解決策は業界の外側で開発されることが増えている。
専門化が進みすぎると、実は部外者にチャンスが広がる。
専門家が情報をたくさん生み出すほど、好奇心の強いシロウトが、広く公開されているが分散している情報をつなぎ合わせて貢献できる機会が増える。
水平思考
「水平思考」とは1960年代につくられた言葉で、情報を別の文脈に置き換えてイメージし直すことを意味する。
たとえば、古いアイデアに新しい活用法を見つけるために、一見バラバラなコンセプトや領域を結びつけたりする。
プロジェクトに専門家は欠かせないが、会社が成長して技術が高度化していくと、垂直思考の超スペシャリストばかりが大切にされ、水平思考のゼネラリストが重視されなくなることだった。
ポリマスとは、少なくとも一つの分野で深い知識を持っているが、同時にレンジも広い人材だ。
ポリマスは、自身の中核となる分野を掘り下げるので、その分野で多数の特許を取得する。
ただし、その深さはスペシャリストほどではない。
一方で、ゼネラリストよりもさらに広い幅を持ち、何十もの種類の技術に関わる。
ポリマスは、一つの分野で得た専門知識を全く新しい分野に繰り返し応用していた。
それはつまり、彼らが常に新しい技術を学んでいることを意味する。
ポリマスはそのキャリアを通じて、「隣接する分野」について学ぶ中で幅を大きく広げ、その一方でわずかに深さを失う。
3Mの中で成功し、カールトン賞を受賞する可能性が高いのは、このポリマスだった。
情報が幅広く手に入るようになる中で、誰かが一つの分野を前進させることが、以前ほど重要ではなくなった。
というのも、事実上、誰もがその情報を手に入れられるからだ。
私のようなT型は、I型の人のところに進んで質問をしにいって、Tの幹の部分をつくる。
十分に説明されていて、理解されている問題なら、スペシャリストが本当にうまく解決する。
しかし、曖昧さと不確実性が増すと、幅がどんどん重要になる。
分野の不確実性が高ければ高いほど、チーム内にレンジの広い人材を持つことが重要だった。
よいコミックをつくるために、プラスとなる要素
答えは(仕事をしすぎないことに加えて)、コミックの22のジャンルのうち、クリエーターがいくつのジャンルに関わったことがあるか、だった。
コミックのジャンルには、コメディーや犯罪、ファンタジー、アダルト、実話、SFなどがあるが、経験年数がクリエーターの差別化にはつながらなかった一方で、ジャンルの幅は差別化につながった。
幅広いジャンルを経験しているクリエーターのほうが、平均的に商業的価値の高いコミックや、革新的なコミックを生み出していた。
クリエーター個人の経験の幅が広がると、チームの革新性を上回るようになる。
四つ以上のジャンルに取り組んだ経験があるクリエーターと、チームメンバーの経験ジャンル数の合計がそのクリエーターと同じチームを比較した場合、革新性はそのクリエーターのほうが高い。
テイラーとグレーブは、「個人はチームに比べて、さまざまな経験をよりクリエイティブに統合できる」と言う。
ナレッジベースの業界でイノベーションを起こそうとする場合、『スーパーな人』を見つけるのが最もよい。
もし、多様な知識を持った個人が見つからなかったら、『すばらしいチーム』を編成するとよい。
チームが多様な経験を持っていればインパクトがあるが、多様性のある個人のほうがイノベーションには効果的ということだ。
作品の開発においては、専門に特化すると損失が大きくなるだろう。
クリエイターの活動は「外側から見ると、さまざまなものを寄せ集めたように見えるかもしれない」。
だが、クリエイターは多様なものを進行中の事業の一つに「配置する」ことができる。
不確実な環境と意地悪な問題を前にした時、幅広い経験はとても貴重だ。
親切な問題には、「狭く深く」の専門性が大きな効果を発揮する。
問題は、超スペシャリストがその専門分野で高い力を持っているために、彼らが意地悪な問題にも魔法のような力を発揮するのではないかと期待してしまうことだ。
だが、そうした期待は悲惨な結果を招く。
スペシャリストがハマる罠
知名度と正確さの間にも「強い反比例の関係」があった。
論説ページに予測が載ったり、テレビで取り上げられたりする確率が高い専門家ほど、予測が間違いである確率も高かった。
最も優秀な予測者たちは、キツネ的であるだけでなく、コラボレーション能力も高く、情報を共有し、予測について議論した。
インサイダーになりすぎると、よい視点を持つのは難しいからね。
優れた予測者の核となる特長は、「ありとあらゆることに関しての純粋な好奇心」だと言う。
専門家からは事実をもらっても、意見はもらわない。
優れたチームのやり取りの特徴は、心理学者のジョナサン・バロンが「積極的なオープンマインド(active open-mindedness)」と呼ぶものだ。
優秀な予測者は自分のアイデアを「テストする必要がある仮説」として見る。
彼らはチームメイトを納得させようとするのではなく、チームメイトが自分の考えの誤りを指摘してくれるように促す。
コミュニケーションの系統と指揮命令系統の間には違いがあると強調し、この違いが健全なクロス・プレッシャーを表すと言う。
「私は組織のあらゆる階層の人たちと話し、工場の現場の人たちともコミュニケーションをとるけれども、それで不安や疑問を感じたりしないようにと幹部に言った。
また、それぞれの指揮系統内での決定について妨害はしないが、組織内でのどこでも、いつでも情報を集め、情報を提供するとも伝えた。
上層部の声だけを聞いていたのでは、組織を十分に理解することはできない」
意識してアマチュアになる
人生の「まっすぐな路線」とガイムが呼んでいるものから離れることは、「心理的に、安心なものではない」。
しかし、それには利点もある。
モチベーションが高められることと、「その分野で仕事をする人があえて問わないことに、疑問を投げかけられる」ことだ。
成功したチームを生み出したネットワークの中では、個人は組織や領域を超えて、異なるチームの間を自由に動き、新しいコラボレーション相手を見つけていた。
イノベーションは意図的に幅と非効率を持たせた体制で進めるべきということだ。
しかし、これは困難な戦いだ。
「限界を超えようとするのであれば、そのために必要なのは、ただ探っていくことだ。それは非効率でなければならない」
話したり、関わり合ったりすることが全く消えてしまった。
みんなランチは非効率だと思っているから、弁当を買って自分のオフィスに持ち込む。
しかし、アイデアをやりとりし、ものごとのつながりを見つけるのに、ランチタイムは絶好の時間だ。
優れたクリエイターは、生み出す作品が多ければ多いほど失敗作が増えていき、同時に画期的な作品を生み出す可能性も高まる。
野球の結果は「切れた分布」になっている。
バットを振って、どんなに当たりがよくても、得られる最大の得点は4点だ。
しかし、広い世界では、「打席に立てば、時には1000点をたたき出すことがある」
さまざまな領域のクリエイターを対象とした研究によると、多様な経験を持つ個人は専門家のグループよりも創造に貢献するという。
もし、ある分野から全く別の分野に移っても、その経験がムダになることはない。
明確なルールがあり、経験をパターン化でき、直ちに正確なフィードバックが受けられる場合は、こうした早期教育が功を奏する可能性は高い。
面白かったポイント
一言でいえば、T型人間になろうということです。
個人的に、いろいろな領域に興味を持つため、なかなかスペシャリストとして追求できないという悩みを持っていたのですが、幅広い知識がクリエイティビティには重要だということを言ってもらってとても勇気が持てました。
今の世の中は専門特化、強みを活かすということが強調されすぎて、それも言っていることは分かるのですが、どうしても自分が専門家としてやり切れないでいました。
この本を読んで、専門領域を特化しすぎていたり、経験の幅が狭い人と話していると、確かに専門分野はすごいけど、話していて視野が狭いなということがしぼしば感じていたことを思い出しました。
数年でビジネス環境が変わる時代において、専門特化しすぎはリスクでしかありません。
計画的に、新分野を開拓するキャリアプランを持っておくことが重要だと思います。
かなり共感することも多く、大量にハイライトした本です。
何度も読み返したいと思います。
満足感を五段階評価
☆☆☆☆☆
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